「あの晩父ちゃんが酒に酔って帰ってさえ来んかったら、あんたみたいなバカタレは出来んやった」
という妊娠の理由は、わたしの生まれ故郷であるところの日本国福岡県福岡市あたりでは繰り返し母から子へと語りつがれてきたものであり、同様の歌詞、というか台詞が海援隊の「母に捧げるバラード」にも使われていたと記憶している。 が、わたしの場合、将来息子が思春期になり、ちょっと怒りに燃えたりなんかした目つきで斜め下のアングルから「母ちゃん、なんで俺なんか産んだんだよ」などという、行き場のない若い精子のかほりがむんむんする陰気な問いを投げかけてきたとしても、武田鉄矢のご母堂のような答えは返せない。 なぜなら、わたしが40歳で懐妊した原因は、そうした言い訳のまかり通るようなナチュラルな受胎に因るものではなかったからであり、綿密なタイムテーブルと薬品と注射針の賜物にほかならなかったからである。 そうなのであれば、いっそ「なんで俺なんか産んだんだよ」の問いに対しては、「無原罪の御宿りだ。現代の聖母と呼べ」という、さらにスケールの大きな切り返しができるのでは。とも思ったが、「あれはセックスしないで受胎したから無原罪なんじゃなくて、ヴァージンだから無原罪なんだろう。いくらなんでもそれは通用しねえよ、原罪そのもののような顔して」と連合いに指摘されたのでやめておくことにする。 IVF。 といえば日本語で言えば体外受精のことであり、昔は「試験管ベビー」などと呼ばれて騒がれたものだったが、何ゆえわたしがそのような大変そうな経緯を得て子供を授かることになったかというと、それは、はっきり言って“成り行き”であった。 そもそも、若いときからやりたい放題やっても、いや、人為的手段を使って避妊しなくとも妊娠しない自分の体質をどちらかといえばラッキーであると認識していたほうであったし、なんとしても子供が欲しい、母になりたい、などとは思ったことは一度もなく、子供っぽくて幼稚だし群れるとすぐ猿になるので、子供は苦手ですらある。 そのようなわたしが、英国政府に無料でIVF治療を施していただき、たった一度の企てであっさり子を授かるなどという結末に至ってしまった発端というか原因は、新たなGP(General Practitioner。英国の医療制度におけるところの、各国民の主治医のようなもの)の登場だった。ブライトンに居を移した十年前から、わたしのGPはずっと近所の診療所の口の悪い爺さんドクターだったのだが、彼が三年前ついに定年退職し、二人の女性ドクターが後を引き継ぐことになったのである。 なぜ一人の欠員を二人で引き継いだのかというと、彼女たちはパートタイムのドクターだからであり、それぞれ家庭があり子供もいるので、週に二、三日ずつ、二人で仕事をシェアする形で働いておられるのだ。 んで、そのうちの一人、ドクター・Sに持病の治療のことで初めて会ったときのことである。見立ては確かだがやたら愚痴が多くて無愛想だった前任の爺さんドクターとは違い、年の頃なら三十代半ば、三人の子供を育てながら仕事にプライベートに全力投球の魅力的な女医、でも服装やしゃべり方はあくまでもカジュアルかつリベラルなブライトンっ子。みたいな、こんがり日焼けした新GPとは、女性同士ということもあり、雑談を含めて話が弾んだ。 「子供はいないの?」 「いません」 「つくる気はないの?」 「いや、そういうわけでもないんだけど、できないし」 「今のパートナーとはどのくらい一緒にいるの?」 「7年になります」 「NHS(ナショナル・ヘルス・サービス。国家提供の医療制度の呼称。この制度を利用すれば、英国での医療費は基本的に無料)で、40歳までIVF治療が受けられるようになったの、知ってる?」 「ああ、なんかニュースで言ってましたね」 「39歳なら、まだやれないこともないわよ」 とつぶらな瞳をきらきらさせながらドクターSが言う。 んなわきゃねえだろう。と反射的にわたしは心の中でせせら笑った。 うちの連合いの例を見たって、腰の手術ひとつで10ヶ月、近所に住む学校の体育の先生の例を見ても、痔の手術ひとつで14ヶ月も待たされるNHSだぞ。39歳の今から動き出して、40歳までにIVF治療が受けられるようなすばらしい医療制度が英国にあるのなら、レントゲンひとつで三ヶ月も待たされるのはなぜなんだ。 NHSの崩壊が叫ばれて久しいこのご時世に、こういう理想と現実の区別もつかない、非リアリスティックなことを言うからミドルクラスのお嬢ちゃんとは話ができねえぜ。 ということはすべて頭の中で思っただけであって、一言も発してはいないのだが、 「できないと思ってるんでしょ」 と、小鹿のバンビのように澄みきった目のドクターは言った。 「いや、そんなことはないですけど、IVF治療なんて、あまりに現実味がなくて」 というのもその時のわたしの気持ちとしては正直なところであった。 そもそもが体外受精だなんだという不妊治療は金持ちのやることだというイメージしか持っていなかったし、BBCニュースで見た「NHS無料IVF治療の対象年齢引き上げ」の話にしたって、異国に住む人間にありがちなリアクションとして、ふーん、この国の人たちは無料で体外受精まで出来るのねえ、みたいな他人事にしか思えないというか、ガイジンである自分のことは最初から能動的に除外視する癖がついているので、まさか自分に現実的に関与してくる話だとは思わない。 「でも、わたし英国人国籍じゃないですし」 「関係ないわよ、そんなの。英国人でなくても、こうしてNHSで治療受けてるじゃない」 「ま、そりゃそうなんですが」 と会話を続行しながらも、やはり彼女の言うことはあまりに現実味が感じられないので、くふ。とわたしは笑った。 どうしてあのような笑いがあの時出てきてしまったのかは今でも不明だが、わたしはなぜか、くふ。をやってしまったのであり、思えば、あの、くふ。がうちの坊主の生命をこの世に誕生させてしまったのである。 「不可能なことなんて、ないのよ」 こちらの気持ちを見透かすかのようにドクター・Sがぴしっと言った。 またいったいどこまでスウィートな台詞をおぬかしになる世間知らずのお嬢さまなんだろう。と思いながら、わたしは、くふ、の笑いが残る口元のまま、彼女のほうを見た。 と、さっきまで愛くるしく輝いていたドクターの瞳が、ぎらぎらと妖しい光を放っている。 「40歳の誕生日はいつ?」 「6月だから、もう9ヶ月ぐらいしかないですよね」 「すぐ専門医に紹介の手紙を書きます」 絶対に何とかしてみせる。パートタイムのママさん女医だと思って人をなめくさっとったら、えらいめにあわせたるぞ、だらあ。と言わんばかりの気合をこめて、彼女はコンピューターに向かって何事かをびしびしと打ち込み始めた。 言うまでもなく、ドクター・Sは大変に負けず嫌いの女性だったのである。 とはいってもいくら彼女ひとりがやる気に満ち満ちていたところで、「二年待ちは当たり前」と言われるNHSの不妊治療である。 IVF治療を題材にしたテレビドラマなんかでも、「私たちは貧乏人だからプライベートの医者にはかかれない」とNHSの不妊治療の順番待ちをしている夫婦が、ちっとも順番が回ってこないことを苦にして妻はうつ病にかかり、夫はそれを苦にして浮気、その浮気を苦にして妻の病状が悪化、その悪化を苦にして夫は蒸発、その蒸発を苦にして妻は縊死。その縊死を苦にして夫は飛び降り自殺。 といった具合に夫婦そろって最終的には死に絶えねばならないほどの凄絶な苦しみのもとになる悪名高きNHSのIVF治療の順番待ちなのだから、紹介状なんて書いてもらったところでどうなるわけでもないよな。と思いつつ、とりあえず連合いに診療所での事の顛末を説明した。が、彼もまた 「間に合うわけねえよな。もし間に合ったら、屁で沸かしたケトルで紅茶いれてやるよ」 などと言って、てんで本気にしておらず、 「それよりさあ、俺、最近ちょっと痔の調子が悪いんだけど、そんな若い女医さんがゴム手袋して尻に指入れてくるかと思うと、行きにくくなって困るなあ」 と、別の案件で心を煩わせているのだった。 そんなこんなで、仕事をしたりギネスを飲んだりワインを飲んだりウィスキーを飲んだりして多忙な日々を送っているうちに二カ月ほどが経ち、ある朝突然に、ブライトンのNHSホスピタル、RSCH(Royal Sussex County Hospital)から一通の手紙が届いた。 当院の不妊治療の専門医とのアポイントメントをオファーする。アポの日時を決めるため、専門医のセクレタリーに電話を入れろ。という内容である。 出た出た、本当に来やがったよ。と思いながら、連合いの携帯に電話を入れた。 「マジで来たよ。あの女医先生、本気だったのね」 「へえ。でもさ、手紙はけっこう早く来るんだよね、NHSって。ほんで電話して予約入れようとしたら、三ヶ月先しか空いてませんとか言われるんだよ」 「確かに。ちょっと電話してみるね」 などと書くと、子供を産む気もない女が、どうして能動的に行動を起こしているのかと不思議に思われる方もおられるやもしれないが、ここで特筆しておかねばならないのは、うちの連合いはけっこう子供が欲しいタイプの人間だったということである。 「俺、もう五十年近く生きたし、なんかちょっとライフに飽きた。父親なんかになってみたりしたら、また面白いことがあったりするのかなー」 というような発言を、彼は四十代半ばぐらいから時折するようになっていたのであり、今思い返してみれば、一見するとどうでもよさそうな連合いのリアクションは、わたしに子を産ませるための、計算され尽くした対応だったと考えられないこともない。 とりあえず病院に電話してみると、セクレタリーがちゃかちゃかちゃかっとコンピューターでわたしのデータを見ている気配がし、先方は冷静な声で 「来年1月にアポを入れます」 と言う。手紙を受け取ったのが12月初旬のことだったので、1ヶ月先の予約が取れるというのは、NHSの病院にしては早い。 「1月に取れちゃったよ。アポが」 と夕食時に連合いに報告すると、 「へえ。不妊治療なんて、NHSのなかでも一番忙しいイメージあるけどなー」 「ほんとよね」 「で、病院行くの?」 「どういう質問なのよ、それ。アポが取れちゃったんだから、行くでしょ、普通は」 「そっか。じゃあ一緒に行こうか、俺も」 「なんで」 「だって、テレビのドキュメンタリーとかでも、不妊治療っていったら、みんなカップルで病院に行ってるじゃん」 「パートナー同伴で、とは手紙には書いてなかったけど、来たかったら、来れば」 みたいな気の抜けた会話を交わしながらも、着々とわたしたちはIVFへの道を歩み出していたのであったが、なにしろ根っからNHSという制度を信頼していなかったため、“時々子供が欲しいの何のとぬかす連合いの手前、とりあえずは前向きな姿勢でも見せておくか”程度のいい加減な姿勢しかわたしは持ち合わせていなかった。 どうせNHSなんだから、ほんとにIVF治療なんてやってもらえるわけがないし、よしんばやってもらえたとしても、成功するわけないじゃん。くふふん。 といったグレイト・ブリテンの医療制度をなめきった考えが、本件に関するわたしの行為・行動の一貫したベースになっていたのである。
by mikako0607jp
| 2007-08-14 07:52
| 英国無料IVF治療体験記
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